2025年10月5日

③ ニセコフットパス 曽我開拓歴史コース(開拓・歴史を想う道)

こんにちは!今回は曽我地区の歴史とコースの見どころを紹介します。コースには広大な農地が広がっており、10月はじゃがいもやにんじん、かぼちゃの収穫時期となっています。

【曽我開拓歴史フットパス】

「曽我開拓歴史コース」

ニセコ町民センター〜JRニセコ駅〜曽我森林公園〜王子発電所〜ニセコ大橋〜ニセコ町民センター 約8km

曽我地区はニセコ開拓の歴史を知る上で重要な場所です。読売新聞で本年より連載されている「曽我農場物語」の舞台でもあります。

大正5年当時の一覧図 ~出典 ニセコ町百年史上巻~

柳川藩(福岡県)出身の軍人、曽我祐準(すけのり)子爵と他3名によって明治33年(1900年)未開地の貸下げを受け、その後、曽我子爵の独力経営となり曽我農場開拓が始まりました。1067町(約1058ヘクタール)と当時の狩太村随一の農場となりました。農場事務所は芙蓉橋付近。コース上にある現在の曽我森林公園付近だったとのことです。初めの頃に入植した小作人は宮城県、徳島県、福井県、石川県、富山県など東北、四国、中部北陸を中心に143戸。当時の小作契約書には水田の試作に加え、用水路工事、農作物や果樹の生産、神社の建立も含まれていました。

昭和12年(1937年)当時の小作人と村長が土地開放を求め、小作人80人に解放されました。有島農場と違う点は、無償ではなく有償だったということです。

開墾当時は原始林が広がっており、過酷さが想像できますね。まずは木を切り、住居を建てることから始めたということです。このような先人たちの想像を絶する努力の末、今のニセコの農村風景がつくられて、私たちもこのような自然相手の仕事ができていることに感謝の気持ちを感じざるを得ません。

曽我地区から見たイモの花と羊蹄山
曽我森林公園の景色
その曽我農場を開いた曽我祐準子爵ですが、高円宮妃久子殿下の高祖父でおられるということがにわかに知られるようになりました。農場を実質解放された二代目農場主曽我祐邦(すけくに)子爵は母方の曽祖父にあたられます。ということで、曽我森林公園(東啓園)にはこのような碑があります。地区の農家や住民などの寄付により、祐準子爵をはじめ開拓に関わった先人たちを讃え、地区のルーツへの誇りを胸に、近年建てられたものです。

さて、スタート地点に戻り、まずはニセコ駅を目指します。初めに出てくる自然は「桜ヶ丘公園」です。春カタクリの名所として知られるようになり、地元の観光協会ではカタクリの開花状況も公表しています。ここを下っていくとJRニセコ駅に到着します。晴れていればニセコアンヌプリがとてもキレイに見えます。

4月後半〜5月上旬が見頃のカタクリ

10月ハロウィンの時期は大変多くの観光客で賑わうJRニセコ駅!なんと町内に数千個のハロウィンカボチャが置かれ、それ専門に栽培している農家さんもいらっしゃいます。圧巻の量ですよね!

ニセコ駅とカボチャの写真を撮った後は、尻別川とニセコ大橋の景色です。ここも写真スポットです。

先ほどの碑がある曽我森林公園を1周するように歩きます。

曽我神社が近くにあります。明治37年(1904年)に創建されています。原野を一から開拓してわずかの期間に建てられており、当時の信仰がいかに重要だったかを知ることができます。先ほど紹介した「曽我農場物語」の1話では祐準子爵の肖像画を手がかりに、殿下が高祖父と曽我農場の関わりを知るきっかけになった神社とのこと。

その後は農村風景と羊蹄山、尻別川を堪能しながら市街地に戻ってきます。

広々とした農村風景と山々の景観 
全国大会のある10月はじゃがいもの最盛期です
王子製紙の尻別発電所

北海道開拓の歴史が詰まった「曽我開拓歴史コース」ぜひご体感ください!コース上は歩道がないところが多く車両には十分注意して歩いてみてください。

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